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2022
良寛さんの足跡を訪ねて(国上山、和島)
良寛さんの定住の地 国上山五合庵
先週末に良寛さんの生誕の地である出雲崎を訪れたが、使える公共交通機関が殆ど無く、近隣にある良寛さんの縁の地を訪ねることができなかった.そこで先週に引き続き、良寛さんが定住した国上山の五号庵と乙子神社の草庵を訪ねることにした.
国上山へ向かう公共交通機関はないので、国上山へ登るハイキングルートを使って麓から登って行くことにした.国上山へ登るハイキングルートは幾つかあるが、今回は道の駅国上から登るルートを選んだ.
道の駅国上の最寄り駅としてはJR弥彦線の弥彦駅かJG越後線の分水駅ということになるが、どちらからも5km以上あるので、時間の都合で歩いて行くことは諦め、行きは弥彦駅から、帰りは分水駅までタクシーを使うことにした.
この日は快晴で暖かな絶好の行楽日和ということもあり、弥彦駅周辺は多くの紅葉見物の観光客や参拝客、弥彦山ハイキングなどに訪れた人達で賑やかだった.
折角なので、国上山へ向かう前に弥彦神社へ立ち寄って見ることにした.越後の一宮だけあって格式のある立派な神社だった.丁度菊まつりが行われていて、境内は様々な種類の菊の大輪が飾られていた.
弥彦からタクシーで道の駅国上へ向かう.道の駅国上の裏手に酒呑童子(しゅてんどうじ)神社があり、そこから国上山へ登るハイキングコースが続いている.
明るい広葉樹林帯のハイキングコースは歩いていてとても快適で、久しぶりに山の紅葉を楽しむことができた.ハイキングコースは想像していたよりもアップダウンがあったが、子供から年配者まで安心して有ることが出来る、格好のハイキングコースだった.国上山の頂上での展望を期待していたが、残念ながら周囲の木々が邪魔をしていて、展望は得られなかった.
国上寺(こくじょうじ)は越後の最古刹をうたい文句にしているが、今は単なる胡散臭い宗教法人が経営するお寺のようだ.境内を離れ五合庵へ向かうことにするが、朝日山展望台経由で吊り橋を渡るコースを取るが、大型観光バスのツアー客の一団とかち合ってしまった.
ツアー客の一団が居なくなるのを待ってから五合庵へ向かう.五合庵も半ば観光施設化してしまっていて、良寛さんが暮らしていた頃の様子を伺うことは難しいが、庵の中は質素そのものだった.このような山中で屋根しか無いような粗末な庵で20年近くも暮らしていたということが驚きだ.
流石に良寛さんも年老いた身でこの五合庵で生活することは厳しかったようで、年老いてからは国上山の麓の集落に近い乙子神社の草庵に移っている.
五合庵から良寛の月見坂と名付けられた山道を下って乙子神社へ向かうが、途中で道を間違えて集落の方へ降りてしまった.かなり後になって道を間違えた事に気づいたが、戻るのも面倒なので舗装道路を大きく迂回して乙子神社へ向かった.
乙子神社の境内脇にある草庵は五合庵よりも広く、普通の家に近い感じだったが、薄暗い神社の敷地内なので暮らしは結構大変だったのではないだろうか.
道を間違えた地点を確認するため、乙子神社から逆戻りして、良寛の月見坂を降りた場所まで戻ってみた.良寛の月見坂を降りた場所で左手側に舗装道路、右手側に地道の自然な道が続いている.良寛の月見坂を降りて行った場合、標識も何も無い状態では、当然ながら同じような土の地道を選んでしまうのが自然だろう.特に普段山歩きを行っている身には、なんのためらいもなく右側の地道を選ぶだろう.
当然ながら私も何の疑いも無く、右側の土の地道を選んでしまった.この分岐地点に是非とも乙子神社への案内標識を設置しておいて欲しい.
道間違いのポイント: 左側の舗装道路へ降りて行くのが正解
ここで左折する
道路を下っている場合は標識が全く見えない
この道間違いのため、かなりの時間をロスしてしまったが、とりあえず道の駅に戻って、タクシーで分水にある分水良寛資料館へ向かった.
分水良寛資料館の展示物は良寛さんの遺墨よりも良寛さんの関係者の資料の方が多くて???な展示だった.
予定よりも大分遅れてしまったので、良寛さんの終焉の地である和島地区に立ち寄ることができるかどうか微妙だったが、分水駅15:55分発の柏崎方面の電車があったので、これに乗り小島谷駅で降りて徒歩で和島地区の良寛ゆかりの地を訪ねることにした.
最後に良寛さんがの終の住処となった木村家の離れの庵室や良寛さんの墓所を訪ねることができ、駆け足ではあったが良寛さんの足跡を訪ねる旅は一旦終わりにしようと思う.
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