悪天候による足止めのため封人の家に二泊ほど滞在する事を余儀なくされたが、快晴となった五月十七日(現代の暦では7月3日)に封人の家を出立し、赤倉温泉、山刀伐峠を経てその日の昼過ぎに尾花沢の鈴木清風宅を訪れている.
尿前の関から中山峠越えの山道を歩き宮城県と山形県の境にある境田集落の元禄時代に建てられたとされる庄屋の古民家『封人の家』を訪れた.
今年の年明けに奥州平泉まで『奥の細道』での芭蕉と曽良の足跡を辿ってきたが、ようやく『奥の細道』巡りの続きを再開することができる状況になってきた.今回は週末の二日間を利用して尿前の関から尾花沢までの足跡を辿ってみることにした.
Web Map サービスとしてはとてもマイナーな存在ではあったが、Yahoo! Japan のMapサービスが、10/31で終了することになった
今回はひょっとしたらまだ紅葉を楽しめるのではないかということで、前回の雪辱を果たすべく、三本槍岳の1等三角点ハンティングに出掛けることにした.
日本の地図や測量データを取り仕切る総本山である国土地理院の敷地内に併設されている『地図と測量の科学館』を見学してきた.
三連休の初日は暴風で交通機関が乱れる事が予想されたので、連休中の遠出は諦めることにし、近場でまだ行ったことの無い『守谷野鳥のみち』をお散歩することにした.
先日の台風の大雨による洪水によって渡良瀬遊水地がかつて無いほどの規模で全域が水に浸かってしまったと聞いていたので、立ち入り禁止区域が全面解除されているというので様子を見に出かけた.
日本三景の一つとして名高い松島は、奥の細道の旅の前半のハイライトとでも言うべき目的地で、奥の細道本文の「発端」で「松島の月先心にかかりて」と述べているばかりではなく、「松島」の記述に多くの行を費やしていることからも芭蕉の松島に対する思いが伝わってくる.
五月八日朝に仙台を立った芭蕉と曽良は多賀城で「壺の碑」を見物し、塩竈に行って御釜神社に詣でた後、「末の松山」、「沖の石」、「おもわくの橋」「野田の玉川」などを見物した後、塩竈神社の傍らにある法蓮寺の門前の治平さんの家に泊まっている.翌朝、塩竈神社に詣でた後、塩竈の港から船で松島へ向かっている.