芭蕉と曽良は松島から石巻を経て義経が最後を遂げたとされる平泉を訪ねている.平泉は平安後期に奥州藤原氏三代(清衡、基衡、秀衡)が築いた一大宗教都市で、東北の地に独自の文化が花開いた地域だ.
文知摺石を見物した芭蕉と曽良は月輪の渡しで阿武隈川を越えて、飯塚の里鯖野(佐場野)にある真言宗のお寺である瑠璃光山医王寺を訪ねている.この医王寺は佐藤庄司一家の菩提寺で、佐藤基治とその二人の息子である、継信、忠信の墓がある.
文知摺石というのは、山裾にある曹洞宗の普門院というお寺(文知摺観音)の境内に置かれた大きな石で、河原左大臣が詠んだ歌に因んだ伝説に依るものだ.芭蕉と曽良は黒塚を訪れた翌日にこの文知摺石を見物している.
安積山を訪れた芭蕉と曽良はその足で二本松にある黒塚に立ち寄っている.黒塚というのは謡曲「黒塚」(観世流では「安達ヶ原」)にちなんだ名前で、この辺りは安達ヶ原と呼ばれている.
年末に仙台周辺の歌枕を幾つか訪ねたが、手元に残っている18切符の消化も兼ねて『奥の細道』に記載されている歌枕でまだ訪れていない地を訪ねてみることにした.
岩沼駅から南へ700m程行った交差点の近くの小さな二木の松史跡公園に「武隈の松」が植えられている.現在の松の木は代々受け継がれて江戸時代末期に植えられた七代目にあたるという.
仙台近郊にある歌枕の地を訪れたかったので苫小牧からフェリーで仙台に戻り、数々の歌に詠まれた歌枕の地を訪れることにした.
『かたみの薄』というのは西行が奥州平泉に向かう際にこの地で平安中期の宮廷の花形歌人であった藤原実方中将の墓を見つけ、感慨深げに詠んだ歌の一節から名付けられた実方の墓の呼称だ.
苫小牧の近郊にある日本初の野鳥サンクチュアリに登録されたウトナイ湖に立ち寄ってみた.ウトナイ湖はそれ程大きな湖ではないが、湖の周囲は国道36号線周辺に道の駅などの施設や自然探索路があるものの、それ以外の場所は人が立ち入ることのない手つかずの自然が残っている.