年末に仙台周辺の歌枕を幾つか訪ねたが、手元に残っている18切符の消化も兼ねて『奥の細道』に記載されている歌枕でまだ訪れていない地を訪ねてみることにした.
岩沼駅から南へ700m程行った交差点の近くの小さな二木の松史跡公園に「武隈の松」が植えられている.現在の松の木は代々受け継がれて江戸時代末期に植えられた七代目にあたるという.
仙台近郊にある歌枕の地を訪れたかったので苫小牧からフェリーで仙台に戻り、数々の歌に詠まれた歌枕の地を訪れることにした.
『かたみの薄』というのは西行が奥州平泉に向かう際にこの地で平安中期の宮廷の花形歌人であった藤原実方中将の墓を見つけ、感慨深げに詠んだ歌の一節から名付けられた実方の墓の呼称だ.
先週の関山の頂上からの那須連山を見て、雪が降る前に登っておこうと思い、二週連続で朝一の新幹線で那須へ向かったのだが、結局順番は前後するが先週の続きで、芭蕉の『奥の細道』の足跡巡りになってしまった.
白河の関は陸奥の三関の一つとして知られた関で、古くから多くの歌人に詠み継がれてきた典型的な歌枕の地だ.
奥の細道で芭蕉と曽良が歩いた足跡を訪ねて、遊行柳がある那須の芦野の里から関の明神、白河の古跡、関山をと辿ってみた.
芭蕉がこの地を訪れた頃は辺り一面の田圃では丁度田植えが行われていたようで、『田一枚植えて立ち去る柳かな』という句を残している.
芭蕉が敬愛する西行や能因法師に所縁の深い歌枕の地である象潟は、芭蕉にとって憧れの地であり奥の細道の一つのハイライトでもある.
西行が150年以上前の能因を、そして芭蕉が500年以上前の西行の跡を追ったように、現代でも多くの芭蕉ファンが同じように300年以上前の芭蕉の跡を追っている.