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2009
小夜の中山(東海道:日坂宿 ー 金谷宿)
歌枕の地を訪ねて(東海道:小夜の中山)
広重 東海道五十三次:日坂
古くから歌に詠まれていた『小夜の中山』は、箱根、鈴鹿と並ぶ東海道の三大難所として知られていたが、今ではすっかり街道としての役割を終え、長閑なお茶畑が広がる舗装された田舎道となっていた.地元の教育委員会や住民達がかつての東海道の面影を再現しようとして、石畳を復元したり街道沿いの旧家を保存したりしている.
小夜の中山を詠んだ歌は数多くあり、古今和歌集の中では
甲斐が嶺をさやにも見しがけけれなく 横ほり臥せるさやの中山 読人不知
東路の佐夜の中山なかなかに なにしか人を思いひそめけむ 紀 友則
の二歌が知られている.歌枕としての小夜の中山はその急峻な地形故か、恋路の障害の喩えとして詠われていることが多いようだ.
西行がこの地を歩いたのは、若い頃に陸奥の歌枕の地を訪ね歩いた時と晩年に平泉の藤原秀衡を訪ね時の二度だという.二度目にこの小夜の中山を越えた時、西行は既に69歳に達しており、決死の覚悟で陸奥へ赴いたという.
若かりし頃に歩いた時の記憶と四十数年という長い年月を経て再びこの地を歩いているという感慨とが重なって、有名な命なりけりの歌が詠まれたと言われている.
あづまのかたへ、あひしりたる人のもとへまかりけるに、
さやの中山見しことの昔に成りたるける、思出られて
年たけてまた越ゆべしと思いきや 命なりけり小夜の中山 西行
西行の熱烈なファンで、西行の足跡を追いかけ廻していた芭蕉もやはりこの地を訪ねて俳句を残している.延宝四年(1676)に芭蕉がこの地を訪れ、西行の歌を踏まえて次の句を残している.
命なりわずかの笠の下涼み 芭蕉
古くは古今集に詠われ、西行や芭蕉を経て現代の私たちにまで詠い継がれてきた『小夜の中山』をこの足でのんびりと散策することができ、味わい深い歌枕の旅だった.