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2021
日光
含満ノ淵、裏見ノ瀧
梅雨の真っ只中ではあったが、東武鉄道の株主優待券の有効期限が迫っていたので、東武電車を乗り継いで日光へ出掛けることにした.日光は観光地なので人混みを避けるようにして裏道から入ることにした.今回の日光訪問の目的は裏見ノ瀧と含満ノ淵のピンポイント見物だ.
芭蕉と楚良は旧暦の四月一日(現在の5月19日)に日光を訪れ、東照宮を拝している.曽良の旅日記では、
午ノ尅日光ヘ着.雨止.清水寺ノ書、養源院へ届.大楽院へ使僧ヲ被添.折節大楽院客有之.末ノ下尅迄待テ御宮拝見.
と記されている.
芭蕉の時代では東照宮への一般人の参拝は許されていなかったようで、江戸浅草の清水寺からの紹介状を養源院に持ち込み、養源院を通じて東照宮の社務所でもある大楽院での参拝の手続きを済ませたようだ.この日は幕府の御用絵師の狩野探信一門が来客として養源院を訪れていたため、芭蕉と曽良は午後3時近くまで参拝を待たされたということだ.
日光で一泊した芭蕉と曽良は翌四月二日の午前中に裏見ノ滝と含満ノ淵を見学している.
辰ノ中尅宿ヲ出.ウラ見ノ瀧・ガンマンガ淵見巡、漸ク及午.
奥の細道の本文には、裏見ノ瀧のことを
二十余丁、山を登って滝有.岩洞の頂より飛流して百尺千岩の碧潭に落たり.岩窟に身をひそめ入て、瀧の裏よりみれば、うらみの瀧と申伝え侍る也.
暫時は瀧に籠るや夏の初
芭蕉と曽良は先ず裏見ノ瀧を訪れ、その後で含満ノ淵を見物している.含満ノ淵は中禅寺湖から流れ出す大谷川が日光市街の手前で急に狭くなった岩場地帯にできた淵で、古くからの修行の場所だったと言う.日光市が大谷川に沿って『憾満の路ウォーキングコース』を整備しているので、格好のお散歩コースだろう.
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