9
20
2009
象潟(秋田県にかほ市)
象潟(きさかた): 奥の細道 最北端の地
芭蕉が敬愛する西行や能因法師に所縁の深い歌枕の地である象潟は、芭蕉にとって憧れの地であり奥の細道の一つのハイライトでもある.
象潟に船をうかぶ。先づ能因嶋に船をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかうの岸に船を上がれば、「花の上こぐ」とよまれし、桜の老木、西行法師の記念をのこす
松しまは、わらふがごとく、象潟は、うらむがごとし。さびしさに、かなしびをくはえて、地勢魂をなやますに似たり
象潟や雨に西施がねぶの花
西行が150年以上前の能因を、そして芭蕉が500年以上前の西行の跡を追ったように、現代でも多くの芭蕉ファンが同じように300年以上前の芭蕉の跡を追っている.実際に能因法師や西行がこの地に住んだり訪れたという確たる記録や証拠はないそうだが、歌枕として幾つかの歌に詠まれている.
象潟の桜は波に埋もれて 花の上漕ぐ海士の釣り舟 西行
遠く修業し侍りけるに、象潟と申す所にて
世の中はかくも経けり蚶方の 海女の苫屋をわが宿にして 能因法師 後拾遺集
西行は初度の陸奥への修行の旅で平泉へ赴いているが、この旅の目的自体が能因の足跡を追うことであったのであれば実際に西行がこの地を訪れて上記の歌を詠んだとも考えられるだろう.
芭蕉が訪れた頃の象潟は松島のように潟の中に幾つもの小さな島々が浮かび、秀峰鳥海山を映す景勝の地であったと言う.残念ながら芭蕉が訪れた115年後の文化元年(1804年)の大地震で海岸線が2メートル以上も隆起して潟が陸地になってしまい、芭蕉が見た光景は今となっては想像するしかない.
田植えの直前に水田に水が張られた状態になるとその昔九十九島が海だった頃を彷彿とさせると言うが、私が訪れた時には松の木に覆われた小島が黄金色に輝く稲穂の海の上に、ひょっこりと浮かんでいるように見えた.象潟の周辺は鳥海山の伏流水が海に流れ込み、その栄養分をタップリ吸収した岩牡蠣が名物として知られているが、残念ながら岩牡蠣のシーズンは7,8月ということで岩牡蠣を食べることができなかった.今度象潟を訪れる時は岩牡蠣のシーズンに合わせることにしようと思う.
Zoom Level: Bearing(Heading): Pitch: Grid Interval: