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03
2009
東海道(金谷宿から日坂宿へ)
東海道(金谷宿から『小夜の中山』を越えて日坂宿へ)
遠州へ
古くから歌枕として多くの和歌に詠まれてきた『小夜の中山』は、東海道の三大難所として知られており、西行が絶唱した『小夜の中山』を実際に歩いて見ることにした.
春分の日から続く三連休のうち、天気が良さそうなのは土曜日しかなかった.この日は朝から晴れてはいたが、冬の快晴に較べると何となくスッキリしない青空だった.
予定では朝早くから出掛けるつもりだったが、のんびりしていたら家を出るのが遅くなってしまった.新横浜から新幹線で静岡まで行き、東海道線に乗り継いで金谷駅まで行き、そこから旧東海道を歩いて掛川まで歩くことにした.
昨夜、ヨドバシカメラに立ち寄った時に、発売されたばかりのSONYのデジカメ連携用の小型GPS(GPS-CS3K)を見つけたので、旅の記録用として便利そうなので試しに使ってみることにした.
金谷宿
静岡駅で新幹線を降り東海道線に乗り換える予定だったが、東海道線内で人身事故があったらしく電車が大幅に遅れていた.次の浜松方面への電車がいつ来るか判らないというので、静岡駅で昼食を食べていくことにした.予定より大幅に遅れて午後1時前にようやく金谷駅に着いた.
金谷駅は大井川鉄道の起点駅なので立派な駅舎を想像していたが、あまりにも小さな駅だったので少し拍子抜けした.駅を降り駅前にある金谷の観光案内所で情報を仕入れて行こうとしたが、連休の土曜日だというのに閉まっていた.とりあえず芭蕉の句碑があるという長光寺というお寺へ行ってみることにした.
長光寺は駅の直ぐ側にあるようだったが、道が判らず国道473号線を東名高速方面へ向かった.東海道線の線路の上を跨いだ直ぐ先に、小夜の中山へ続く旧東海道の石畳の道の入り口があった.
入り口をそのまま通り越し、国道を歩いて行くと金谷の街を見渡すことができる小高い場所に出た.目の前に金谷の街があり、その向こうに『越すに越されぬ』大井川が流れている.
金谷宿は東海道の24番目の宿場で、すぐ東側に大井川、西側には小夜の中山という難所を控え、多くの旅人が利用する宿場だったという.ここからでは昔の宿場町の面影を見てとることはできないが、小さな宿場街とはいえ、往時はたいそう賑やかに栄えていたことだろう.
長光寺は駅の近くにある筈だが、駅からはかなり遠くに来てしまっている.丘の上から長光寺を探して見るがそれらしき場所は見つからない.仕方がないので駅がありそうな方向へ丘を下って行くことにした.
途中で散歩している近所のおばさんに長光寺の場所を尋ねてみた.おばさんの話では長光寺は駅のガード下の直ぐ先の階段を登った所にあるという.どうやら金谷の駅を出て直ぐ右側に進み、線路を潜って行くのが正解だったようだ.
気を取り直して細いグニャグニャした道を駅がありそうな方向へ降りていった.駅まで行くと線路のガードの直ぐ先におばさんの言うとおり階段があった.ようやく長光寺に辿り着くことができた.駅の直ぐ裏側にあったのに、気付かずに滅茶苦茶大廻りをしてしまった.
遠回りしたおかげで金谷の街を見渡すことができた.怪我の功名と言った所だろうか.
階段を昇りお寺の境内に入ると、鐘楼堂の傍らに芭蕉の句碑が建てられていた.芭蕉が『野ざらし紀行』の中で、
馬上吟
道のべの木槿は馬に喰われ鳧 芭蕉
と記している.
芭蕉が乗っていた馬が、ふと馬が道で立ち止まり道の傍らに咲いていた木槿の花をパクリと食べてしまったときの芭蕉の驚きと、ちょっとした可笑しさが句に表されている.