11
30
2008
剣山から丸石を経て奥祖谷二重かずら橋へ
剣山縦走のはずだったが...
剣山山頂 → 次郎笈(ジロウキュウ) → 丸石 → 丸石避難小屋 → 奥祖谷二重かずら橋 → 名頃
朝目が覚めると窓は霜で真っ白になっていて外の景色は何も見えなかった.窓枠が完全に凍り付いていて窓を開けることができないので、1階まで降りて外の様子を確かめに行った.外の気温はマイナス9度、ひっきりなしに雪が降っている.今朝の最低気温はマイナス12度まで下がったという.今朝は山だけではなく池田でも雪が降っているという.
三嶺(みうね)までの縦走は諦めて山を下りることにした.天気予報では午後には雪は止みそうだというので、雪が小止みになるまで暫くヒュッテで時間を潰すことにした.この天気では誰も登山に来ないだろうと思っていたが、徳島の板野町から来たという50〜60歳位の男性2人連れがヒュッテにやってきた.見ノ越まで車で来て、そこから刀掛経由で登ってきたのだという.ヒュッテの常連の登山客のようで年に十数回は登っているという.暫くこの男性2人連れとヒュッテのおばあちゃんとで雑談をしていた.
見ノ越まで下りてからヒッチハイクで久保方面へ出ることを考えていたが、この雪では登山客の車など当てにできそうもないので、名頃まで歩いてそこからバスで池田方面へ向かうことにした.尾根伝いの道は結構緩やかで歩きやすいそうなので、丸石避難小屋まで尾根伝いに縦走し、そこから奥祖谷二重かずら橋まで斜面を下り、そこから名頃まで車道を歩くことにした.
お昼過ぎ頂上ヒュッテを後にして丸石へ向かった.登山道は雪にすっぽり埋まっていて足下の様子が全く分からない.一歩づつ恐る恐る着地しながら足下の様子を探っていく.落ち葉の上に積もった雪は落ち葉ごとズルッと滑るし、石や木の根は雪に隠れて見えないので、いつもの半分のスピードしか出せない.山を下りるまで予想以上に時間を取られそうだ.このままでは予定していたバスには乗れそうもなかった.
尾根ルートは誰も歩いた形跡が無く、登山道には鹿や小動物の足跡しか残されていなかった.登山道を見失うことは殆ど無かったが、雪の中の笹漕ぎは足下の様子が全く分からず結構大変だった.結局、剣山から2時間近くも掛かってようやく丸石避難小屋に着いた.一の森の避難小屋と違ってこちらの避難小屋は板敷きの床が貼られているだけのシンプルな小屋だった.
ここからは九十九折りの急な斜面を下りて行くことになる.慎重に一歩一歩足を進めて行くが、足を滑らせ何度も斜面を滑り落ちそうになった.やっとのことで国体橋という沢に掛かっている橋の所まで下りてくることができた.ここからは沢沿いに下りていくようだが、雪で登山道がどこなのか見分けが付かない.途中何度か道を見失いながらも足場の悪い沢沿いの道をかずら橋まで辿り着くことができた.
奥祖谷二重かずら橋は男橋と女橋の2つの橋が並んで架かっているので二重かずら橋と呼ばれているという.単に私が見逃しただけかもしれないが、私がこの橋を渡った時には橋は一つしか見あたらなかった.橋は誰も渡った形跡がない.この雪の中にわざわざこんな奥地まで見物に来る観光客も居ないのだろう.本当なら 500円の通行料を取られるのだが、徴収窓口には誰もおらず、近くにも人が居る形跡はなかったので、仕方がないのでそのまま素通りさせて貰った.
二重かずら橋から名頃までとぼとぼと車道を歩いて下りていくが、1台も車が通らない.名頃からバスに乗るためバス停の横の公衆トイレの持ち合い室のようなところで次のバスが来るのを待っていた.30分程待ってようやくバスが来たが、このバスは京上という所までしか行かないという.
バスの運転手さんの話では、今日は久保から運行されている四国バスの便が、雪で上がって来られないので運休になっているという.どの道京上から先へは行けないので、どこか近くで宿をとることにした.京上には2軒程宿が有るというので、今夜は京上に泊まることにした.バスの運転手さんの知り合いが旅館をやっているからといって、運転手さんが直接旅館に電話してくれた.
夕方5時近くになってから急に宿泊をお願いしたが、夕食まで用意してくれた.明日の朝一番の池田行きのバスで阿波川口まで行き、そこから新宮行きのバスに乗り換え、別格13番 仙龍寺へ向かうことにした.旅館の女将さんは奥祖谷にお大師様が霊場を創ってくれたら、お遍路さんがいっぱい来てくれるのにねと言って残念がっていた.四国遍路のコースにあるかどうかは旅館にとってはやはり大きな問題のようだ.