4
09
2007
4/9 14番常楽寺から19番立江寺へ
4/9 14番常楽寺から19番立江寺へ
常楽寺から井戸寺へ
朝8時前、名西旅館を後にして14番常楽寺に向かう.13番の大日寺から17番の井戸寺までは短い距離の間にお寺が集中しているのでとても楽だ.常楽寺はむき出しの凸凹の岩盤の上に伽藍が建てられている.何でこんな場所にお寺を建てたのだろうか.歩き難くてしょうがない.足下のおぼつかないお年寄りには酷なお寺だ.
常楽寺の奥の院慈眼寺に向かう途中に、生木地蔵と書かれた小さな祠があった.祠の中を覗いてみると、立ち枯れた木の裂け目にお地蔵様が彫られていた.ちょっと艶めかしい不思議なお地蔵様だった.
次の15番国分寺へ向かう途中で常楽寺の裏山の上にある公園に行ってみた.勿論この公園は遍路コースではないが、高くて景色の良さそうなところがあるとどうしても登りたくなってしまう.折角山の上まで登ったのに期待したほど眺めが良くなかったのでちょっとがっかりした.大きな黒い蜂が俺の縄張りに近づくなとばかりに威嚇しながら私の廻りを飛び回っている.刺されたら嫌なので早々にこの場を引き上げることにした.
国分寺はとても古びたお堂がこのお寺の歴史を感じさせていたが、そろそろ建て替えした方が良いのではないかと思うくらい古いお寺だった.境内には、昨日一緒だったN君が先に到着していた.特に一緒に歩こうと思ったわけではなかったが、N君と一緒に次の16番観音寺に向かうことになった.
16番の観音寺は街中の本当に小さなお寺で、大勢の団体さんが来たらどうなるのだろうかなどと余計な心配をしてしまうぐらい、境内が狭かった.ここで安楽寺で一緒だったおばさん二人組にここで再会してしまった.彼女たちは昨夜は大日寺の宿坊に泊まる予定だったが、住職のお葬式のため大日寺の宿坊には泊まれずに、急遽別な旅館を紹介されたと言っていた.
井戸寺に向かう途中で、井戸寺の方向から男性の歩き遍路さんがやって来た.『今日は』と挨拶をしたが虚ろな目でこちらをちらっと見ただけで、そのまま通り過ぎていった.今まで目にしてきたお遍路さんとは明らかに様相が違っていた.四国遍路の道中には、お遍路ホームレスとでも言うべき人達が何度も何度もぐるぐる四国の地を廻っていると聞いた事がある.この人もそのような人達なのだろうか.
井戸寺では大きな朱塗りの派手な山門が私たちを迎えてくれた.井戸寺は先程の観音寺とは違い、とても大きなお寺だった.駐車場には大型バスが数台駐まっていて、バスで廻っている団体さんたちで境内はごった返していた.境内に面影の井戸と呼ばれる弘法大師が一夜にして掘ったという井戸があり、このお寺の名前はこの井戸にちなんで付けられたという.何とか水といってこの井戸の水を結構な金額で売りつけている.これでは霊感商法と大差ないではないか.
団体さんで混み合っていたせいかN君が納経所から戻ってくるまで時間が掛かりそうだったので、境内で休憩がてら遍路地図を見ながら今後のルート計画や宿の計画を立てていた.N君が納経所から戻ってきたが、私が直ぐに出発する様子がなかったので、N君は先を急いでいたのか、N君はそのまま黙って先に出発してしまったようだ.
私はここから地蔵院というお寺を経由した山越えのルートで次の恩山寺へ向かうという事をN君に先に伝えておけば良かったが、N君の方からは先に行きますとは言い出しにくかったのかもしれない.私の方からN君に先に行って下さいと言っておくべきだった.
地蔵院越えで立江寺へ
井戸寺から場外霊場地蔵院へ向かう途中で、国道沿いのスーパーに立ち寄りバナナとおにぎりで簡単な昼食を済ませた後、近くに有った100均ショップで菅笠の補強に役立ちそうな布製のテープと金剛杖の持ち手部分に巻くナイロン製の紐を購入する.菅笠の台座の作りは貧弱で自分で補強しないと直ぐに壊れてしまいそうだ.金剛杖を握る部分も握り易いように紐を巻いておく.特に金剛杖はどれもおなじ形をしているので、杖立に置いておくと他人の物と間違われて持って行かれてしまう事が多いので、特別な加工を施しておくのはとても有効だ.
鮎喰川を渡り住宅地の中の細い道を山の麓の方向へ歩いて行くと大きな溜池に面した公園があった.屋根の付いた東屋や公衆トイレ、水飲み場などが整備されており、東屋にはお遍路さんが野宿したような形跡が残っていた.野宿派のお遍路さんには格好の野宿ポイントなのだが、恐らくこの場所では野宿は禁止されているだろう.
地蔵院はこの大きな溜め池の直ぐ先にあり、想像していたよりも大きなお寺だった.境内は閑散としていたが、春の柔らかな日射しに包まれて長閑でとても居心地の良さそうなお寺だった.境内の桜の木の下ではご近所の家族連れがお花見をしていた.広い境内には古墳の史跡があったり、十体の仏像を安置してある十王堂などがあり、何だかとても楽しそうなお寺だった.とても感じの良いお寺だったので、記念に納経帳に墨書きしてもらうことにした.
玄関のチャイムを押すと、若奥さんらしい方が出てこられた.納経をお願いすると納経帳を持って一旦奥に戻っていった.数分後お茶とお茶菓子を持って再び戻って来られた.納経をお願いしてお茶菓子のお接待までしていただきちょっと感激した.お茶をいただきながら、18番の恩山寺までの道を尋ねてみたところ、ここから恩山寺まではまだ4~5時間ぐらい掛かるという.もっとこのお寺でゆっくりしていたかったが、既に1時を過ぎていたので、先を急ぐことにした
地蔵院を後にして山越えの県道203号線へ向かう.直ぐに車道と別れて山道に入るが、途中に小さな沢があって近所の小中学生が作ったと思われる沢山の獅子おどしが設置されていた.歩いていてとても気持ちの良い遍路道だった.この遍路道を歩けただけでも山越えの道を選んで正解だった思う.山越えの道と言っても峠の標高がせいぜい140m程度の峠道である.徳島の中心街をどことなく違和感を感じながら歩くよりは、殆ど人の居ない山の中を歩く方が私は好きである.
峠を越えると園瀬川に沿って下りて行く.途中で川を渡り、県道136号線を小松島方面へ向かうとその先で国道55号線と合流しそのまま国道を立江方面へ向かう.途中で弘法大師御杖の水という所に寄ってみようと思い、その場所を探して見るがそれらしき場所は見あたらない.畑仕事をしていた人に尋ねてみたら、畑の向こうにある小さなポンプ小屋のような物がそれだと言う.側に行ってみると本当にただの小さなポンプ小屋だった.今でも現役で農業用水を汲み上げているらしいが、言われなければ気付かないような史跡だった.ちょっと肩すかしを食わされたが、まあ大した寄り道でもないので、気を取り直して恩山寺へ向かった.
国道から恩山寺へ向かう入り口を探していたら、道路工事のおじさんが遠くからあそこだよ指さして、入り口の方場所を教えてくれた.あのおじさんは一体今日は何人のお遍路さんに道を教えてあげたのだろうか.国道の喧騒から解放され少しホッとした.
恩山寺の手前で道路の脇に古い物置小屋のような建物が建っていたので何だろうと思って行ってみたら、物置小屋ではなくれっきとした恩山寺の山門だった.昔はここが参道だったようだが、今は別な場所に車道が通ってしまいすっかり忘れ去られた山門になってしまったようだ.
本堂でお参りを済ませ、急いで次の19番立江寺へ向かう.恩山寺を出る時点で既に午後4時40分を過ぎていたが、今夜は立江寺の手前にある宿に泊まるので、とりあえず先に宿に入り荷物を置いてから立江寺に向かうことにする.
恩山寺を出ると直ぐにとても風情のある竹林の中の遍路道が続いていた.所々から筍が顔をだしていて、注意して歩かないと筍につまづきそうになる.柔らかな土の感触と竹藪を吹き抜ける風がとても心地良い.四国の遍路道がすべてこのような道だと嬉しいのだが.
立江寺ゆかりのお京塚に寄ってみようと思っていたが、気付かずにいつの間にか通り過ぎてしまった.今夜の宿の『鮒の里』に着いたのは5時30分近かったが、食事の時間まではまだ時間がありそうだったので、とりあえず荷物だけ先に置かせて貰ってそのまま立江寺に向かった.宿を出る時に、ちょうど入れ違いで焼山寺で見かけた若い女性が入って来た.どうやら彼女も同じ宿に泊まるようだ.
この時間では立江寺の境内にはお遍路さんの姿はなかったが、境内にある宿坊の方から賑やかな人の声が聞こえてきた.そう言えば北海道から来た彼女やN君も今日は立江寺の宿坊に泊まると言っていた.昨夜名西旅館に泊まっていた人達も殆どがこの立江寺の宿坊に泊まると言っていた.
宿に戻ると、先に宿に着いていた人達は一階の大きな囲炉裏のテーブルを囲んで夕食を食べていた.私はまだお風呂にも入っていなかったので、夕食は後回しにして先にお風呂に入ることにさせていただいた.お風呂を済ませ、夕食を食べに下の食堂に下りていくと、山梨から来ていた50代くらいの感じの良いご夫婦が食事を終え寛いでいた.このご夫婦も歩きで廻られているらしいが、交通機関を上手く利用していて、先に荷物をその日泊まる宿に置いてから、交通機関を利用して戻ってきて、再び宿まで身軽なスタイルで歩いているという.
確かにこの方法だと1日の歩行距離はあまり稼げないが、思い荷物を背負って長距離歩かなくて済むので、なかなか賢い方法だと思う.でも交通機関の発達している都市部は良いけど、室戸岬や足摺岬のような辺鄙な所はどうするのだろうか.交通機関なんて殆ど無いだろうし、仮にあっても数時間に1本バスが有るかどうかだろう.その場合は結局普通に歩くしかなさそうだ.
夕食を食べていると、焼山寺で見かけた若い女性も夕食を食べに下りてきた.彼女を焼山寺で見かけた時は目つきが虚ろで魂が抜けたような状態だったので、少し気になっていたのだが、今日は全くの別人のように生き生きしていた.
一緒に食事をしながら彼女と色々と話をした.彼女に焼山寺で見かけた時の事を話したら、彼女は笑いながら、あの時は山登りがきつすぎて、途中で体力を使い果たしてしまい、肉体的にも精神的にも限界まで追い込まれていたと言っていた.私にとっては焼山寺越えは快適なハイキングだったのだが、山登りをしたことの無い人にとっては大変な難行のようだ.
彼女はSさんといい、東京から来ていると言っていた.彼女も通しで廻ると言っていが、5月下旬には所要があって戻らなければならないので、それまでに結願できるかどうか心配していた. 彼女は荷物があまりにも重くて辛いので、使いそうもない荷物を片っ端から自宅に送り返したといっていた.持ってきた石鹸まで半分に切って送り返したと笑いながら話してくれた.
彼女も家族との安否確認用に、携帯でブログを書いていると言っていた.ブログであれば家族は安否の確認や本人の置かれている状況を知ることもできるし、本人も日常の雑事から有る程度距離を置くことができるので、とても便利な連絡手段だと思う.
食事が終わってからもアウトドアのことや外人のお遍路さんのことなど、彼女と宿の女将さんの三人で楽しいおしゃべりが続いた.
起点
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経由地
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終点
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区間距離
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累積距離
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備考 |
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名西旅館 花 |
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14番 常楽寺
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2.3 km |
2.3 km |
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14番 常楽寺 |
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15番 国分寺
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0.8 km |
3.1 km |
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15番 国分寺 |
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16番 観音寺
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1.8 km |
4.9 km |
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16番 観音寺 |
→ |
17番 井戸寺
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2.8 km |
7.7 km |
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17番 井戸寺 |
→ |
場外霊場 地蔵院
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4.2 km |
11.9 km |
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場外霊場 地蔵院 |
→ |
18番 恩山寺
|
12.0 km |
23.9 km |
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18番 恩山寺 |
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19番 立江寺
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4.0 km |
27.9 km |
この日の歩数: 48,680 歩 【累積歩数:209,819 歩 】 歩行距離: 27.9 km【累積歩行距離: 117.0 km 】
宿泊先: 鮒の里
【TEL 0885-37-1127 携帯 090-3782-1627】
〒773-0017 徳島県小松島市立江町江ノ上41-1
朝夕2食付きで 5,500円
洗濯機・乾燥機:有り(無料)
19番 立江寺から徒歩5分ぐらい
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