大雪山 小化雲岳より旭岳方面を望む


Date/Time: 2015:09:23 10:01:46
Camera: PENTAX
Model: PENTAX K-5 II s
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Focal Length: 21.0

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y2trip » 4/3 京都を経て高野山へ

4

03

2007

4/3 京都を経て高野山へ

京都を経て高野山へ






東寺(教王護国寺)


東寺(教王護国寺)
東寺(教王護国寺)
立体曼荼羅の講堂
立体曼荼羅の講堂
御影堂(大師堂)
御影堂(大師堂)

今回のお遍路を始めるに当たってまずは弘法大師ゆかりのお寺である東寺(教王護国寺)へ寄ってみることにした.京都で新幹線を降りて真っ直ぐ東寺へ向かう.まだ朝の9時前ということもあって観光客はまばらで、広い境内は閑散としていたが、満開の桜の淡い花びらが庭園に彩りを添えていた.


東寺はこれまでに何度も訪れているが、久しぶりに講堂の仏像を見たくなったので拝観料を払い講堂の中に入った.薄暗い堂内に差し込む淡い自然な光の下で仏像を眺める.誰も居ない講堂で暫し時が経つのも忘れて、仏像をじっくり鑑賞していた.


東寺の境内を散策していたら御影堂があることに気付いた.これまでは御影堂が何のお堂なのか気に掛けたことはなかったが、弘法大師のお堂である御影堂に立ち寄り挨拶をしていくことにした.御影堂の入口の障子は締め切られていて中の様子が伺えなかったので建物の中に入って良いのかどうか迷ったが、お参りに来た近所のおばあさんが中に入っていったので、私も靴を脱いで中に入らせていただいた.


練習がてら般若心経を唱えてみようかと思ったがやはり恥ずかしさが先に立って躊躇してしまう.誰も居なくなったところで最初の数行声を出して唱えてみたがどうも上手くいかない.般若心経を上手く唱えるにはやはり練習が必要なのだろう.とりあえず御大師様にこれから高野山へ寄ってきますとだけご挨拶申し上げ、東寺を後にした.





京都 蹴上にて 


蹴上にて
蹴上にて

疎水記念公園
疎水記念公園

南禅寺水道橋(水路閣)
南禅寺水道橋(水路閣)

東寺からそのまま高野山へ向かうつもりでいたが、ちょうど桜の季節なので市内の桜の名所に寄り道していくことにした.京都駅に戻り市営地下鉄を乗り継いで蹴上まで行った.地下鉄東西線ができる前はこの辺りには京阪電車が路面を走っていたのだが、今はもうその頃の面影は残っていない.蹴上の近辺は春には琵琶湖疎水やインクラインの桜が、紅葉のシーズンには南禅寺や永観堂の紅葉が見所のとても風情のある場所で、京都を訪れる際はいつも立ち寄ることにしていた.


インクライン沿いの桜並木を愛でながら緩やかな斜面を登って行くと、頂上の船着き場の先には水路に面して古い煉瓦作りの建物が建てられている.この水路は琵琶湖まで通じているという.インクラインは船ごと荷物を運ぶ斜面に設けられた巨大なトロッコのような運搬設備で、琵琶湖からここまで水路伝いに荷を運んできた船をインクラインで下の運河まで下ろしていたようだ.琵琶湖の水面と蹴上の水路との落差がありすぎるため、水門仕切って船を通すことができないので、このような船を陸送する手段が採られたのだろう.


琵琶湖の水位との落差のためインクラインという設備を作らざる負えなかったが、逆にその落差を利用して日本で最初の水力発電所を建設することができたという.とうの昔にインクラインの役目は終わっているが、蹴上の水力発電所は現在も稼働しているようだ.蹴上の周辺は至る所に明治の文明開化の面影が残っている.


山沿いに流れる水路の縁を通って南禅寺の境内へ向かう.この水路の水が南禅寺の境内にある煉瓦作りの水路橋の上を流れ哲学の道へと流れて行く.お寺の境内に極めて西洋的な煉瓦造りの建築物であるにも関わらず、不思議と周囲の環境にとけ込んでいて違和感を感じることはない.蹴上で古都の風情をじっくり堪能した後、京都を後にして高野山へと向かった.




高野山へ


南海特急高野
南海特急高野
ケーブルカーに乗り
ケーブルカーに乗り
石畳の参道
石畳の参道を抜け
巨木に包まれて
巨木に包まれて
苔むした古い廟
苔むした古い廟
木の洞のお地蔵さん
木の洞のお地蔵さん
奥の院御廟へ
奥の院御廟へ

三条京阪駅から京阪電車で淀屋橋へ行き、地下鉄に乗り換え難波へ向かう.難波からは南海電鉄の特急高野で高野山へ向かった.久度山駅を過ぎたあたりから電車は山の中を縫う急な上り坂にさしかかり、車輪をきしませながらゆっくり登って行く.よくもこのような山の中まで線路を敷いたものだと感心する.電車の終点の極楽橋駅に着くと、そこから高野山まではケーブルカーが運行されている.


ケーブルカーは急斜面をぐいぐい登って行く.終点の高野山駅の周りにはバスターミナルが有るだけで他は何もなかった.高野山の中心街に行くにはここからバスに乗り換える必要があるようだ.バスで奥の院の入口まで行きそこから歩いて奥の院の弘法大師御廟へ向かうことにした.


バスが街の中心部に近づくと道のまわりには数え切れないほどのお寺が並んでいた.標高1000m近くもある山の中にこのような立派な寺町が有ること自体不思議だ.噂には聞いていたが本当に一大仏教都市だ.奥の院の入口でバスを降り、石畳の参道を歩いて奥の院へ向かった.4月とは言えやはり標高1000mの山の上は寒い.先程から雪がちらつき始めていた.


大型の観光バスから参拝客がガイドさんに引率されてぞろぞろとやってくる.参拝客というより観光客と言った方が正解かもしれない.世界遺産に登録されてからは大勢の観光客がやってくるようだ.高野山の街並みを歩いているとやたらと外国人の観光客を目にする.参道の周りにはお墓以外にも、慰霊碑や何かの供養塔のような物が沢山立てられている.企業名を全面に出した記念碑のような物まである.これも企業の宣伝活動の一環なのだろうか?


奥の院の御廟が近づくにつれて鬱蒼とした杉の巨木に囲まれるようになった.辺りはおびただしい数の古びた苔むしたお墓が並んでいる.いったいいつ頃のお墓なのだろうか.ところどころにお墓の説明書きが記されている.織田信長、豊臣秀吉などの戦国時代の武将や江戸時代の大名家の墓石まである.有名な人物のお墓の前ではガイドさんが団体さんにお墓の説明をしている.面白そうなので、団体客に紛れて一緒に説明を聞いていた.


それにしても奥の院一帯はこれまで経験したことのない神秘的な空間だ.弘法大師がこの地に修行の場所を開いたのが何となく分かるような気がする.橋を渡り弘法大師御廟に向かう.ここから先は神聖な場所ということで、中は写真撮影禁止になっている.弘法大師の御廟は奥の院の大きな建物の裏側のひっそりとした場所にあった.


御廟の前で『御大師さま.そろそろ起きて下さいね.これから私と一緒に四国へ遊びに行きますよ.一緒に付いてきて下さいね.宜しくお願いします』と御挨拶申し上げた.


奥の院を後にして、一の院まで巨大な杉に囲まれた参道を歩いて戻った.金剛峯寺にも寄ってみたかったが、既に5時近くになってしまっていたので高野山を後にすることにした.宿坊に泊まってみたかったが、予約もしていなかったので、お遍路が終わった後でもう一度ここに戻ってきた時のお楽しみにすることにした.






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