芭蕉と曽良が船に乗った日は六月三日(現在の暦では7月19日)で、快晴だったようだが、梅雨の大雨で最上川はかなり増水していたのだろう.私が訪れたこの日も快晴の暑い日だったが、最上川の流れは急流というほどでもなく、ゆっくり蕩々と流れていた.
月山は山岳信仰の山として古くから人々に崇められてきた山である.羽黒山、湯殿山とともに出羽三山と呼ばれている.他の修験道の山々と較べると山容はなだらかで初心者でも簡単に登れる山であることが特徴だろう.
梅雨の真っ只中ではあったが、東武鉄道の株主優待券の有効期限が迫っていたので、東武電車を乗り継いで日光へ出掛けることにした.日光は観光地なので人混みを避けるようにして裏道から入ることにした.今回の日光訪問の目的は裏見ノ瀧と含満ノ淵のピンポイント見物だ.
塩釜の散策は午前中で終わったので、午後は芭蕉と曽良が尾花沢滞在中に立ち寄った山寺を訪れることにした.
国の天然記念物に指定されている塩竃桜が満開の頃を見計らって塩竈神社を再訪することにした.
前回福島を訪れた時は福島駅から文知摺観音までの間をバスで往復しただけだったので、桃源郷のような信夫の里をゆっくり歩いて見ようと思い、桜と桃の花が一斉に咲く頃を見計らって出掛けることにした.
年のヨシ焼きが13日の(土)に予定されているので、ヨシ野原が灰になってしまう前にチュウヒ君達に会いに久々に渡良瀬遊水地へ向かった.
悪天候による足止めのため封人の家に二泊ほど滞在する事を余儀なくされたが、快晴となった五月十七日(現代の暦では7月3日)に封人の家を出立し、赤倉温泉、山刀伐峠を経てその日の昼過ぎに尾花沢の鈴木清風宅を訪れている.
尿前の関から中山峠越えの山道を歩き宮城県と山形県の境にある境田集落の元禄時代に建てられたとされる庄屋の古民家『封人の家』を訪れた.
今年の年明けに奥州平泉まで『奥の細道』での芭蕉と曽良の足跡を辿ってきたが、ようやく『奥の細道』巡りの続きを再開することができる状況になってきた.今回は週末の二日間を利用して尿前の関から尾花沢までの足跡を辿ってみることにした.