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2022
相模野基線(下溝村、座間村)
一等三角点の元祖を訪ねて
基線北端点から基線南端点までお散歩
国土地理院の基準点成果等閲覧サービスで神奈川県の一等三角点の位置を調べていたら、先日の高尾山(長津田村)の直ぐ近くにも、下溝村、座間村という2カ所の一等三角点存在している事を知った.この2点は現在の相模原市と座間市の住宅地に存在している.通常一等三角点は約40kmの間隔で見通しの良い山の頂上付近に配置される筈なのだが、何故か10kmにも満たない間隔でしかも平坦な場所に置かれている.
この訳が有りそうな下溝村、座間村という村の名前が付いた三角点の事を色々と調べてみると、三角測量が開始された際の最初の基点となった三角点の元祖中の元祖だという.この2点と先日訪問した長津田村の三角点、および厚木市の鳶尾山頂上の三角点とで、最初の三角点網が作られたのだと言う.
厚木市の鳶尾山は登ったことが無いが、低山ハイキングコースとして整備されているようなので、近日中に三角点ハイキングに出掛けようと思う.
一等三角点ハンターとしては、この三角点のアダムとイブ的な存在を無視する訳には行かないので、連休中どこにも行けなかった憂さ晴らしに、相模原市の北端点(下溝村)から座間市の南端点(座間村)まで歩いてみることにした.
十数年以上も前になるが、小田急相模原近辺に住んでいたことがあるので、下溝村の三角点のある麻溝台付近は頻繁に通っていたのだが、このような三角点の元祖が存在していたことは全く知らなかった.
再開発ですっかり変わってしまった相模大野の北口から女子美(北里病院)行きのバスに乗り、麻溝台中学校前というバス停で降りた.この辺りは当時から養鶏場だらけで、周辺には養鶏場の独特の臭いが漂っている.地図ではバス通りから中学校側へ少し入ったあたりに下溝村三角点が有るはずなのだが、すぐには見つけられずに、周辺をぐるっと一周してバス通りまで戻ってきてしまった.
気を取り直して、今度は逆方向に戻ってみると、民有地の敷地に囲まれた猫の額ほどの土地の奥まったところに下溝村三角点を発見した.相模原市の文化財の標識がなかったら見逃していたかもしれない.これでは一般の人はこの三角点の存在に気付かない筈だ.
標柱の殆どが地面に埋まってしまっているので山の上の三角点のような存在感は無い.とりあえず、北端の下溝村三角点を確認できたので、対になっている南端の座間村三角点へ向かうことにする.
この2点間の距離は5キロ強ということなのでのんびり歩いて行くことにした.この辺りの土地勘はあるので、昔の記憶を頼りに座間方面へ向かうが、結構道路が入り組んでいて地図を見ながら歩かないと変な方向へ逸れてしまいそうだ.直線距離では5kmでも道路に沿って歩くとかなり遠回りになってしまう.
座間村の三角点は南林間駅から西南西に伸びている比較的大きな道路沿いにある筈なので、直ぐに見つかるだろうと思っていたが、こちらの三角点も中々見つからずに苦労した.座間村の三角点は下溝村の三角点よりも更にわかりにくい場所に置かれていた.何と民家の敷地の塀の中、玄関の階段の下という何とも不思議な場所にあった.案内板のプレートが無ければ絶対に気付かないだろう.
どういう経緯で三角点の土地が民間に渡ってしまったのか不思議なのだが、歴史的な遺産とも言える三角点がこのような状態にあるのは問題ではないだろうか.
Zoom Level: Bearing(Heading): Pitch: Grid Interval:
相模野基線中間点(四等三角点) – TR45339231301
相模野基線の2点の探訪では時間の関係で立ち寄ることのできなかった、相模野基線の中間点も土木学会の歴史遺産に登録されているようなので、厚木市の『鳶尾山』に向かう前に相模野基線中間点に立ち寄ってみた.
この辺りも昔よく自転車で通って居たはずなのに、相模野基線中間点については全く知らなかった.尤も当時はこのような説明板は設置されていなかったと思われるので、気付かないのも無理はない話なのだが...
整備されたお散歩道の一角に説明板を発見
基線中間点はこの説明板の後ろの道を左へ20mのところに有るらしい
基線中間点は道路上のマンホールの中だった
基準点名: 基線中間点 (TR45339231301 四等三角点) [ 35°30′38″.7532 N, 139°25′13″.1630 E, 84.65m ]