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2016
大峯北奥駈道のんびりトレイル(その3)
小笹ノ宿から弥山へ
ミソサザイ君の賑やかな囀りで目が覚めると辺りはすっかり明るくなっていた.廻りの人達は既に出発してしまったようだ.今日は大普賢岳から和佐股方面へ一旦下りて、笙の窟(第72靡)へ立ち寄りたいところだが、笙の窟までは往復で二時間半は掛かりそうだ.笙の窟に立ち寄ると今夜の宿は行者還避難小屋ということになってしまう.これまで超スローペースで歩いてきたので、この辺で少し距離を稼いでおかないと予定通りに前鬼に下りられなくなってしまう.笙の窟に寄ることが出来ないのは無念だが、今回は諦めて今日は弥山まで足を延ばすことにした.
御嶽より笙の岩屋へまゐりたりけるに、もらぬ岩屋も、と有けん折思ひ出られて
露もらぬ岩屋も袖は濡れけりと 聞ずはいかに怪しからまし [山家集 雑917]
この歌は西行が敬愛していた行尊が詠んだ『草の庵何露けしと思ひけむ 洩らぬ岩屋も袖は濡れけり』(金葉集・雑上・行尊)を受けて、西行が追体験して詠んだ歌とされている.西行は二度程奥駈けを行ったとされているが、御嶽(大峯山)から小笹ノ宿を経て笙の岩屋へ向かっているので、吉野から入って熊野へ向かった際に詠まれた歌かもしれない.
西行さんは大峯山中で行尊を忍んで次の歌も詠んでいる
平等院の名書かれたる卒塔婆に、紅葉の散りかかりけるを見て、
花より外の、ありけん人ぞかしと、哀れに覚えてよみける
あはれとも花見し峰に名を留めて 紅葉ぞ今日はともに散りける [山家集 雑1114]
平等院(長等山 園城寺 円満院の別名)とはここを自坊としていた行尊のことで、『もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし』(行尊集)を受けて詠んだ歌とされている.
山家集には小笹ノ宿で詠んだとされる次の歌も載っている
小笹の泊と申す所にて露の繁かりければ
分来つつ小笹の露にそぼちつつ 干しぞわづらふ黒染の袖 [山家集 雑918]
蟻の門渡りと申す所にて
笹深み霧越す岫を朝立ちて 靡きわづらふ蟻の門渡り [山家集 雑1116]
蟻の門渡りは大普賢岳と稚児ノ泊りの行場で、岫(くき)は山の斜面や崖にある洞窟や峰の事だそうだ.西行さんも笹深い険峻な尾根道を霧に巻かれながら難儀しながら彷徨ったのだろう.
行者還、稚児の泊に続きたる宿なり、春の山伏は屏風立と申所を
平かに過ぎんことを難く思ひて、行者、稚児の泊も思ひわづらふなるべし
屏風にや心を立て思ひけん 行者は還り稚児は泊りぬ [山家集 雑1117]
この歌の意味は少し分かり難いかもしれない.眼前に立ちはだかる屏風のように垂直に切り立った崖に山伏達は発奮したことを歌っていて、行者(役行者)は引き返し、未熟な山伏はここで動けなくなってしまったという言い伝えを受けての歌らしい.
西行さんの歌にも詠まれているように、大普賢岳から行者還岳の周辺は厳しい行場が続いていた.
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