11
05
2023
酒田(奥の細道)
酒田の街をお散歩
芭蕉と曽良は六月一三日(現在の七月二九日)に川船で鶴岡から酒田に向かった.夕暮れに酒田に着き、医師の玄順(本文では『淵庵不玉と云医師』)宅に泊まっている.十五日に象潟へ赴き、十八日に酒田に戻ってきて、翌一九日から酒田での句会に参加している.
『曽良旅日記』では、
十三日 川船ニテ坂田ニ趣。船ノ上七里也。陸五里成ト。
...
暮ニ及テ坂田ニ着。玄順亭ヘ音信、留主ニテ、明朝逢。
十四日 寺島彦助亭ヘ被招。俳有。夜ニ入帰ル。暑甚シ。
十五日 象潟へ趣。 ...
一八日 ...暮ニ及テ、酒田ニ着。
一九日 快晴。 三吟始。 ...
...
廿五日 酒田立。 ...
と記載されている.
この酒田での句会で、よく知られている『暑き日を海に入れたり最上川』が披露されたようだが、初稿は『涼しさや海に入たる最上川』だったようで、最終的に芭蕉が推敲を重ねて『暑き日を海に入れたり最上川』となったようだ.
『暑き日』は太陽ではなく、暑かった一日と解釈するのが、初稿の『涼しさや』からの流れからしても自然だろう.最上川越しに日本海に沈む夕日を眺めていると、『日』を太陽と解釈してもそれはそれで絵になる光景だ.
本当は夏の暑い時期に酒田を訪れようと思っていたが、今年のあまりの猛暑で出掛ける気にもならずに、11月のこの時期までずれ込んでしまった.尤も、この日は11月とは思えないような高温だったので、多少はこの句の雰囲気を体感できたかもしれない.
酒田は日本海に面した港町で、庄内地方の米や紅花などを最上川で運搬し、北前船に積み替えて運ぶ一大集積地として繁栄を極めた街だった.酒田の街を歩いていると、所々に当時の繁栄の面影が残っている.
酒田の街は1976年11月の酒田大火で街の繁華街の大部分を消失してしまったようだが、本間家の旧邸宅や鐙屋などの屋敷などは大火を逃れたようだ.繁華街のアーケードを歩いているとシャッターを閉じている店や空き家となってしまった店舗が目立つが、酒田には観光の名所が結構あるようなので、単なる観光で訪れても楽しめそうな街だ.
当初の予定では、酒田で一泊して翌日、象潟を再訪し、帰り際に鶴岡の城下町を散歩してから帰る予定でいたが、2日目の天候が芳しくなかったので、象潟や鶴岡には寄らずにそのまま山形、仙台経由で帰ることにした.次回は、鶴岡、象潟を廻って、越中路を訪ねようと思う.
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がっかり観光地 山居倉庫【2024年10月】

ここを観光客の駐車スペースにしてしまうなんて何を考えているのか理解不能!!!
夜のライトアップされた山居倉庫が印象的だったので、象潟へ立ち寄る前に昼間の山居倉庫を訪ねてみた.天候に恵まれた連休中ということもあり、大勢の観光客が山居倉庫を訪れていた.酒田の代表的な観光スポットなので大勢の観光客で賑わっていたのは良いのだが、いただけないのは肝心要の倉庫の周りにまで観光客の駐車スペースにしていたことだ.古びた倉庫群の素晴らしい光景が観光客の車で台無しになってしまっていた.