昨夜は弥山小屋の周りは奥駈縦走組や家族連れのテントで一杯だった.大峯山寺のある山上ヶ岳とは違い、弥山と八経ヶ岳は家族連れでも比較的登り易い山のようだ.行者還トンネル西口周辺にテント場があり、奥駈出合まで1時間ほどで登って来ることができるようだ.行者還トンネル西口まで車で入れば簡単に日帰り登山を楽しめるのだろう.
今日は大普賢岳から和佐股方面へ一旦下りて、笙の窟(第72靡)へ立ち寄りたいところだが、笙の窟までは往復で二時間半は掛かりそうだ.笙の窟に立ち寄ると今夜の宿は行者還避難小屋ということになってしまう.これまで超スローペースで歩いてきたので、この辺で少し距離を稼いでおかないと予定通りに前鬼に下りられなくなってしまう.笙の窟に寄ることが出来ないのは無念だが、今回は諦めて今日は弥山まで足を延ばすことにした.
昨夜は二蔵小屋は満員で小屋の周りでテントが10張り程あっただろうか.テントを持たない人は小屋の軒先でシュラフ一枚で寝ていた.昨夜の冷え込みはきつかったのでさぞかし大変だっただろう.連休中に奥駈を行う場合にはテントは必携だ.
二年前の連休中に熊野本宮から前鬼までの大峯南奥駆(順峯)を歩いてから時間が経ってしまったが、再び大峯奥駈道を歩いてみることにした.本来なら順峯の続きで、前鬼から吉野までの北奥駈道を歩けば綺麗につながるのだが、前鬼までの交通手段の問題で丸一日無駄になってしまうので、今回は吉野から逆峯で前鬼へ下りることにした.
前回、三重の滝を訪れた時は昭文社の『山と高原地図:大峰山脈』の情報だけを頼りに三重の滝へ向かい、垢離取り場から沢沿いに下って滝の最下部へ出てしまうという痛恨のミスを犯してしまったが、今回は国土地理院の地形図できちんとルートを確認した上での再挑戦だ.
大峯山系の北部に位置する大峯山系の代表的な山で、頂上付近には大峯山寺が置かれ、五軒の宿坊が営まれている.この山の一帯は今でも頑なに女人禁制を続けており、山岳修験道の根本道場として独自の立場を貫いている.
大峯山系の中央部に位置する秀峰で頂上には釈迦如来の銅像が設置されている.
旧バージョンである『電子国土』の頃から作図機能等は実装されてはいたが、国土地理院の独自仕様の部分が多く一般には殆ど普及していなかったが、地理院地図ではKMLなどの業界標準や汎用的なオープンフレームワークを採り入れたことで、WEBブラウザベースで色々な機能を使うことができるようになっている.
石鎚山と剣山は四国を代表する山で、共に修験の山として歴史のある山だ.急峻な岩山の石鎚山とは対照的になだらかな笹原の稜線が続く剣山は歩いて居てとても心地良い.
吉野と熊野を結ぶ大峯奥駆道の南部に位置する玉置山は、大峯七十五靡(なびき)の第10番目の靡にあたる.