11
30
2008
西行庵
水茎の岡 西行庵
善通寺 → 72番 曼荼羅寺 → 西行庵 → 73番 出釈迦寺 → 善通寺 [ 11/20 2008 ]
昨日の季節外れの大雪の影響で、四国交通のバスが運休になり歩いて祖谷渓谷を下ってきたので、予定していた別格13番 仙龍寺を訪れることができなくなってしまった.その代わりという訳ではないが、池田まで来たのでJR土讃線で善通寺へ行き、72番 曼荼羅寺の近くにあるという西行が讃岐で修行していたという西行庵を訪ねることにした.
善通寺の境内を通り抜け曼荼羅寺へ向かった.前にこのお寺を訪れたときは気づかなかったが、かつてはこのお寺の境内に巨大な笠松(不老の松)があったという.何年か前にこの笠松は枯れてしまい、その場所にその松の木で彫られた大師像が安置されていた.
曼荼羅寺を後にして西行庵へ向かった.出釈迦寺へ向かう道の途中に西行庵への道を案内してくれる標識があった.標識に従い蜜柑畑の間の緩やかな坂道を上って行くと、讃岐富士や白峯寺がある五色台の山々や瀬戸大橋が見渡すことができた.要所要所に西行庵への標識が付けられているので道に迷うことはなかった.曼荼羅寺から10分程歩いたであろうか、蜜柑畑の少し奥に西行庵があった.
その庵は竹藪の中にひっそりと建っていた.勿論建物自体は西行が隠棲していた当時のものではなく、最近再現された新しい建物であるが、庵のまわりの竹藪はその当時と変わっていないだろう.
庵の前には古びた歌碑や五輪塔、小さな墓石のようなものが置かれていた.私には彫られていた文字を完全に読み取ることができなかったが後で調べてみると、『山さとにうき世いとはん友もがな くやしく過しむかしかたらん』と彫られているようだ.暫し庵の前に座り込んで西行さんを偲んでいた.
庵の直ぐ下に出ると遠くに白峯御陵のある五色台の山々や、瀬戸内海を見渡すことができる.西行さんも毎日この景色を見ながら崇徳院の霊を慰めていたのだろう.西行が庵を結んでいたのは善通寺の近辺だという説もあるが、やはりこの場所の方が西行さんには相応しいような気がする.ここからは次の一首にあるように瀬戸内の島々を望むことができる.
おなじ国に、大師のおはしましける御あたりの山に、いほり結びて住みけるに、
月いとあかくて海の方くもりなく見えければ
曇りなき山にて海の月見れば 島ぞ氷のたえ間なりける
住みけるままに、庵いとあはれに覚えて
今よりはいとはじ命あればこそ かかるすまひのあはれをも知れ
庵の前に松の立てりけるを見て
久に経てわが後の世をとへよ松 跡しのぶべき人もなき身ぞ
ここを又我住み憂くて浮かれなば 松はひとりにならんとすらん