5
28
2007
5/28 再び高野山へ
5/28 再び高野山へ
高野山へ
ホテルのチェックアウトを済ませ、徳島駅から高徳線で1番札所霊山寺へ向かった.霊山寺の門前では相変わらずマネキン人形が出迎えてくれた.本堂と大師堂にお礼参りを済ませ、納経所の方にお願いして菅笠と金剛杖を奉納させて貰った.
再び徳島駅に戻り、駅前からバスで南海フェリーターミナルへ向かった.フェリーで和歌山へ渡り、南海電車で一旦天下茶屋まで行き、特急高野号に乗り変えて高野山へ向かった.
高野山駅の宿坊案内所で今夜の宿坊を紹介して貰おうとしたら、見覚えのある年配の男性お遍路さんが私の前に並んでいた.この男性も私の事を覚えていたみたいで、挨拶をしてくれた.名前は聞いていなかったが顔はハッキリと覚えていたが、果たして何処で一緒になったのか直ぐには思い出せなかった.後で思い出したのだが、13番大日寺の名西旅館と、ふれあいの里さかもとで一緒だった人だった.
案内書で希望予算を聞かれたので、一般的な金額のものをお願いしますと言ったら大体1万円~1万2千円ぐらいだという.高室院というお寺の宿坊を紹介して頂いた.このお寺は街の中心部にあり、とても便利な場所にあった.宿坊の料金は予めこの案内所で前払いで支払い、クーポン券を宿坊に渡す仕組みになっていた.
高野山の宿坊の料金が高いのは知っていたが、この値段は宿坊としてはどう考えても高すぎる.一般的な宿坊の2倍〜3倍はする.宿坊というのは本来参詣に訪れた人のためにお寺が宿を提供するためのもので、営利目的の旅館ではない筈だ.現在の高野山の宿坊はどうみてもただの観光旅館としか思えない.特に高野山が世界遺産に登録されてからは一層観光客目当ての色彩が強くなったのかもしれない.
高野山を歩いているとやたらと外人観光客が目立つ.世界遺産に登録されることで観光業に携わっている人達はその恩恵を受けるかもしれないが、それと同時に失う物も限りなく大きいような気がする.
高室院は歴史を感じさせるとても古いお寺だった.宿の食事はちょっと贅沢な精進料理で、食事は部屋までお膳を持ってきてくれた.朝のお勤めに参加したが、ご住職がお経を唱えるのを聞いているだけだった.
朝のお勤め後、奥の院へお参りに行った.朝のひんやりとした空気に包まれてお墓が建ち並ぶ参道を歩いていると、ピリッと身が引き締まる思いだった.奥の院の橋を渡り御廟の前で、お大師様に四国遍路が無事終了したお礼と、労いのお参りをさせていただいた.
『お大師さま本当にお疲れ様でした.また四国へ赴くまでここでゆっくりお休み下さいね.』