朝起きると、辺り一面は深い霧に覆われ幻想的な雰囲気を醸しだしている.既にミソサザイ君は恋の季節に入っているようで、小屋の周りの沢で朗々とさえずっている.今日の予定はとりあえず吉野へ下りる事を考えてはいるが、天気が良いようだと大勢の観光客でごった返しているので、できれば夕方に吉野へ下りるのは避けたいところだ.そうなると選択肢としては、昨年お世話になった二蔵小屋でもう一泊し、観光客が居なくなった翌日にゆっくり下りて来る事を考えていた.
大峯奥駈道を踏破するには、途中にある避難小屋と水場の情報を予め得た上で綿密な計画を立てないと全区間を踏破するのは困難だろう.二年前の5月の連休で熊野本宮から前鬼までの南奥駈(順峯)、今回の連休で吉野から前鬼までの北奥駈(逆峯)を行い、大凡の避難小屋と水場の情報が得られたので、ここで紹介しておくことにする.
昨年の晩秋の高野山町石道のお散歩に引き続き、高野山から熊野三山の一つである熊野本宮大社へ向かう全長約72kmの小辺路ルートを歩いてみることにした.
高野山へは2007年春の四国遍路の時に二度訪れているが、何れも電車とケーブルカーを利用しての入山だったので、今回は麓の紀ノ川から町石道(ちょういしみち)を歩いて登ってみることにした.
昨日は雨のため急遽予定を変更して精進湖口へ向かったが、三連休最終日の今日は天候にも恵まれたので村山古道の地図を購入するため東海道の吉原へ向かった.午前中から歩き始めることができれば夕方までには村山浅間神社まで辿り着くことができるが、田子の浦海岸に着いたときには既に午後一時を廻っていたので、とりあえず今日は行けるところまで歩いて見ることにした.
風になびく富士のけぶりの空に消えて ゆくへも知らぬわが思ひかな
69歳の西行が二度目の陸奥へ旅をした際に詠まれた歌で、慈円の『拾玉集』によると西行が自讃歌の筆頭にあげていたという.
古くから歌枕として多くの和歌に詠まれてきた『小夜の中山』は、東海道の三大難所として知られており、西行が絶唱した『小夜の中山』を実際に歩いて見ることにした.
かつて晩年の西行法師が『年たけてまた越ゆべしと思いきや 命なりけり小夜の中山』と詠んだ東海道の難所である小夜の中山を歩いてみた.
こころなき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ
この歌は西行法師が神奈川県大磯町の海岸付近を吟遊した際に残した歌とされている.東海道線の大磯駅から歩いて数分の国道1号線に面した所に『鴫立庵』という茅葺き屋根の俳諧道場が建っていた.