昨年の奥の細道を巡る旅で日本海側の交易の拠点であった酒田の街を訪れているが、今回はその続きとして奥の細道のハイライトでもある象潟を訪れるというのが本来の筋んまのだが、象潟は既に何度か訪れており、象潟の様子も記事にしているので、今回は前回立ち寄らなかった象潟橋と九十九島の奥の方を歩いて見ることにした.
月山ビジターセンターのホームページを眺めていたら、羽黒山の周辺の山中に例年よりも早くアカショウビンが飛来して『キョロロ』ボイスを響かせているというニュースが載っていたので、アカショウビンの声を聞きたくなり、速攻で羽黒山を再訪することにした.
芭蕉と曽良は六月一三日(現在の七月二九日)に川船で鶴岡から酒田に向かった.夕暮れに酒田に着き、医師の玄順『淵庵不玉と云医師』)宅に泊まっている.
雲巌寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、福井の永平寺などと並んで禅宗の四大道場として知られている古刹で、新緑の季節や紅葉の季節には大勢の観光客が訪れる観光名所となっている。
出雲崎は良寛生誕の地であり、芭蕉が奥の細道の旅で立ち寄った場所でもある.本格的な冬を迎える前に、良寛の足跡を辿ってみることにした.
羽黒山の南谷別院で数日間を過ごし、六月六日に月山神社参詣のため南谷から月山へ向かった.南谷での数日間は精進料理や断食などで垢離取りをしていたようで、現代でも月山に詣でる人たちは羽黒山麓の宿坊で同じようなことをしているのだろう.
観光船での最上川下りを諦め、古口駅から再び列車で最上川に沿って余目駅へ向かい、羽黒山へ向かうバス便が出ている羽越本線の鶴岡へ向かった.
芭蕉と曽良が船に乗った日は六月三日(現在の暦では7月19日)で、快晴だったようだが、梅雨の大雨で最上川はかなり増水していたのだろう.私が訪れたこの日も快晴の暑い日だったが、最上川の流れは急流というほどでもなく、ゆっくり蕩々と流れていた.
梅雨の真っ只中ではあったが、東武鉄道の株主優待券の有効期限が迫っていたので、東武電車を乗り継いで日光へ出掛けることにした.日光は観光地なので人混みを避けるようにして裏道から入ることにした.今回の日光訪問の目的は裏見ノ瀧と含満ノ淵のピンポイント見物だ.
塩釜の散策は午前中で終わったので、午後は芭蕉と曽良が尾花沢滞在中に立ち寄った山寺を訪れることにした.