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2009
醍醐寺(上醍醐)
上醍醐寺
京都から山科を経て奈良街道沿いに南下して行くと左手に醍醐寺が現れる.1000年以上の歴史を誇る古刹で、醍醐山の上にある上醍醐と麓にある下醍醐からなる真言宗醍醐派の総本山である.世間一般では秀吉が晩年に催した豪華絢爛な花見、所謂「醍醐の花見」の寺として知られている.
これまでに桜を見に醍醐寺を訪れたことはあったが、紅葉のシーズンには訪れたことがなかったので、何となく行ってみたくなった.今回の京都入りは前もって計画していた訳ではなかったので、行き当たりばったりの旅で、事前に下調べも何もしていなかった.
京都駅で新幹線から在来線に乗り継ぎ、 JR山科駅で地下鉄東西線に乗り換え、醍醐寺へ向かった.以前に醍醐寺を訪れたのは地下鉄東西線ができる前だったので、バスを乗り継いで行った記憶があるが、今は地下鉄の醍醐駅ができて簡単に行けるようになった.
醍醐駅から市営住宅の中を抜けて歩くこと数分で、奈良街道に面した総門に辿り着いた.総門をくぐると、庭園で有名な三宝院を左手に見ながら桜並木が続く馬場を真っ直ぐ仁王門に向かって歩いて行った.醍醐寺が世界遺産に登録された事もあり、境内は多くの外人観光客で賑わっていた.入園料(拝観料)を払ってまで中を見る気にはならず、そのまま境内の奥、仁王門の方へ歩いて行った.仁王門をくぐると金堂や五重塔のある境内に入れるのだが、拝観料を取られるみたいなので中に入るべきかどうか迷っていた.
ふと境内の案内標識に目をやると、そこに上醍醐への道案内が記されていた.実のところ私は醍醐寺が下醍醐と上醍醐に分かれていることをこの時まで知らなかった.醍醐寺の境内の案内図を見て、ここからかなり離れた場所に上醍醐と呼ばれる伽藍が有ることを知り、何となくそこに行って見たくなったというのが上醍醐を訪れたきっかけだった.
仁王門の前で右に折れ、上醍醐への案内標識に従って歩いて行った.7〜8分ぐらい歩いただろうか小さな川を渡った所に大きな鳥居が見えてきた.ここが上醍醐かなと思ったがそれらしい建物は見あたらない.寺なのに鳥居?と思ったが、明治以前は寺社が一緒にあるのはごく当たり前の事だったようなので気にせずに先に進んだ.
鳥居をくぐると、黒光りした石仏さんが並んでいた.石仏の前にはお堂のような建物が建っている.女人堂と書かれている.女人堂が有ると言うことはここから先は女人禁制の修行の場ということなのだろう.女人道の前には貸し出し用の杖が置かれていた.どうやら上醍醐はまだ先のようだ.上醍醐登山道入り口という標識が立てられていた.
えっ、登山道?それに貸し出し用の杖??? ちょっと大袈裟過ぎるのではと思っていた.実はこの時はまだ上醍醐が標高454mの醍醐山の頂上近くにあるなどとは思いも寄らなかった.軽い気持ちで参道を登り始めたのだが、だんだん道が険しくなってくる.普通の登山道に比べれば遙かに整備された歩き易い道なのだが、上醍醐は直ぐそこだと思っていたので、メチャクチャ早いピッチで山道を登って行った.数分で着くと思っていたが、行けども行けども一向に上醍醐が現れない.どんどん山は深くなって行き、道はだんだん登山道のようになって行く.今日から12月だというのに、全身から汗が噴き出している.
道端のベンチで一休みすることにした.軽い気持ちで上ってきた事を後悔するが、今更ここで引き返すのは悔しいので何が何でも上醍醐まで行ってやると意地になってまた登り始めた.時々お参りを終え下山してくる人達とすれ違うが、皆トレッキングシューズやザックなど、それなりの軽登山スタイルである.すれ違う人達から「頑張って もうすぐですよ」と声を掛けられる.どう見ても登山である.
そう言えばすれ違う人の様相がどことなく真剣で気合いが入っている.単なる物見遊山のお参りではなく皆真剣な面持ちである.途中で若い巡礼姿の一組の男女とすれ違った.兄と妹のようであったが、このような若い人達が巡礼姿でお参りをしているのは何か深い理由でもあるのだろうと心配になってしまった.
皆あまりにも必死に登っていくので、道行く人に尋ねてみた.「上醍醐寺は何か特別なお寺なのですか?」 相手は一瞬あっけにとられた顔をしながら、「西国観音巡礼三十三札所の十一番目のお寺ですよ」と言われた.道理でこんな山奥の険しい道を多くの人が登って行く訳だ.そうでもなければこんな大変な思いをしてまで、こんな所までお参りに来ないはずだ.この時ばかりは自分の無知と軽率な行動を恥じた.
無謀なペースで山道を登ってきたので、既にへとへとになっていたが気を取り直して上醍醐を目指して登り始めた.正確な時間は分からないが、女人堂からここまで35分ぐらい掛かったであろうか.ようやく上醍醐寺の寺務所の有る場所へ辿り着いた.寺務所の周りは苔の緑と紅葉で覆われ、とても落ち着いた山寺の雰囲気を醸しだしている.この景色を見られただけでもここまで苦労して登ってきて良かったと思った.
寺務所を過ぎるとその左手に清滝宮拝殿、正面に醍醐水と書かれた霊泉が湧き出る建物が建っている.この醍醐水はこの地の地主の神である横尾大明神が地中から湧き出した水を飲み、醍醐味であると賞賛したことから醍醐水と呼ばれるようになり、このお寺の寺名となったと言う.
醍醐水の周りを取り囲むように階段が設けられていて、その先に准胝堂が配置されていた.准胝堂には准胝観音が安置され、西国三十三所第十一番札所となっている.准胝堂が最初に建てられたのは醍醐寺が開かれた876年というが、度重なる山火事で何度も焼失し、現在の准胝堂も1968年に新造されたものだと言う.(この准胝堂も2008年8月の落雷による火災で焼失してしまった)
准胝堂の横にある休憩所で暫く休憩してから、その先にある薬師堂(平安時代 国宝)と五大堂、開山堂へ行ってみた.開山堂の前から宇治や大阪方面を見渡すことができた.
何も知らずに訪れた上醍醐寺だったが、思わぬ美しい光景に出会うことができて本当に良かったと思う.やはり山の上のお寺は格別な趣がある.上醍醐寺はまた何度でも訪れたくなる古刹だった.