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2020
飯塚の里(医王寺)
瑠璃光山 医王寺
文知摺石を見物した芭蕉と曽良は月輪の渡しで阿武隈川を越えて、飯塚の里鯖野(佐場野)にある真言宗のお寺である瑠璃光山医王寺を訪ねている.この医王寺は信夫の庄司である佐藤一家の菩提寺で、佐藤基治とその二人の息子である、継信、忠信の墓がある.
曽良の日記には、
瀬ノ上ヨリ佐場野へ行.佐藤庄司ノ寺有.寺ノ門へ不入.西ノ方へ行.堂有.
堂ノ後ノ方ニ庄司夫婦ノ石塔有.堂ノ北ノワキニ兄弟ノ石塔有.
ソノワキニ兄弟ノハタザホヲサシタレバはた出シト云竹有.
毎年弐本づつ同じ様ニ生ズ.寺ニハ判官殿笈・辨慶書シ経ナド有由.系図モ有由.
...
川ヲ越、十町程東ニ飯塚ト云所有.湯有.
村ノ上に庄司館跡有.
...
昼より曇.夕方より雨降、夜ニ入、強.飯坂ニ宿、湯ニ入.
と記されている.
奥の細道の本文では医王寺に行く前に丸山(館山)にあるという佐藤庄司の館の跡に寄ったことになっているが、曽良の日記とは訪ねた順番が異なるのでこの部分は芭蕉の脚色と考えられている.また、本文中で継信、忠信の二人の妻のしるしの事に触れているが、医王寺での出来事ではなく、実際には翌日訪れた田村神社にある御影堂(甲冑堂)に飾られている二人の妻の甲冑姿の木像の事だと云われている.
文知摺観音からバスで福島駅に戻り、福島交通飯坂線に乗り医王寺前という終点の飯坂温泉の二つ手前の駅で降りる.駅から所々に果樹園が残っている住宅地の中を歩くこと15分程で医王寺に着いた.
正月休み最終日の雪交じりの夕暮れ時ということもあり、お寺の境内には参拝客や観光客は誰も居なかった.山門をくぐった右手側に医王寺の本堂があり、真言宗のお寺なので境内に弘法大師像が置かれている.境内の片隅に芭蕉の句碑「笈も太刀も五月に飾れ紙幟」が置かれている.
山門から真っ直ぐ奥まで続く杉並木の参道を200m程進んだところに小さな薬師堂と佐藤一家の墓がある.奥に向かって薬師堂の右手側に継信、忠信の墓があり、薬師堂の後ろに佐藤基治とその妻乙和の墓がある.想像していたよりも大掛かりで立派な墓で、お寺や檀家の人々から大切に守られてきたことがうかがえる.
医王寺の佐藤一家の墓を訪ねた芭蕉と曽良は飯坂温泉の泊まり温泉に浸かっているが、本文では貧家の貧しい土間の上に筵を敷いて寝たので雨漏りがしている上に蚤や蚊の襲来に遭い、ひどい苦痛を味わったことになっているが、これも芭蕉の脚色と思われる.
芭蕉にひどく書かれてしまった飯坂温泉だが、実際は昔の温泉街の面影が残っている情緒のある温泉の街らしいので、またこの地を訪れる事があれば飯坂温泉に実際に泊まってみようと思う.今回は時間がないので、医王寺を後にしてそのまま電車で一関まで行き、翌朝平泉を訪問することにした.
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