京都 上醍醐寺


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09

2020

安達ヶ原(黒塚)

安達ヶ原:黒塚(福島県二本松市)


二本松駅 真弓山観世寺 こぢんまりとした境内 子規の句碑 庇の岩 名前の付けられた岩 0014254 鬼婆像 「黒塚」 阿武隈川 安達駅

安積山を訪れた芭蕉と曽良はその足で二本松にある黒塚に立ち寄っている.黒塚というのは謡曲「黒塚」(観世流では「安達ヶ原」)にちなんだ名前で、この辺りは安達ヶ原と呼ばれている.芭蕉は奥の細道の本文では、「浅香山・信夫の里」の中で、「二本松より右に切れて、黒塚の岩屋一見し、福島に泊まる.」という一文しか記載されていないが、曽良の日記では、

二本松の町、奥方ノはづれに亀ガヒト云町有.
ソレより右之方へ切レ、右ハ田、左ハ山ギワヲ通リテ壱リ程行キテ、供中ノ渡ト云テアブクマヲ越舟渡し有り.
その向ニ黒塚有.小キ塚ニ杉植テ有.又近所ニ観音堂有.大岩石タタミ上ゲタル所、後ニ有.古ノ黒塚ハこれならん.
右ノ杉植し所は鬼ヲウヅメシ所成らんト別當坊申ス.天台宗也.

謡曲「黒塚」では、那智の山伏が女から一夜の宿を貸りた際に、宿主の女の正体が旅人を襲う鬼だと見破って法力で鬼女を退治するという話だが、平 兼盛が詠んだ次の歌をヒントにこの謡曲が書かれたと云われている.


みちの国名取りの黒塚といふ所に、重之がいもうとあまたありと聞きて、いひつかはしける


 みちのくの安達ヶ原の黒塚に 鬼こもれりと聞くはまことか 平 兼盛 [拾遺和歌集]


兼盛のこの歌は、親しい友人の源 重之に対して贈ったもので、重之の父が陸奥守として赴任した後に、京には戻らずにそのまま住み着いたらしく、重之の妹たちがこの地で暮らしていたと云われている.また、重之自身もこの地と関わりが深かったようで、実方の陸奥への派遣の際に陸奥に係わりが深い重之が同行している.


このような縁があって陸奥の辺境に住んでいる重之の妹たちのことを兼盛が興味を持っていたようで、戯れに妹たちのことを鬼に例えてからかったのだという.


曽良の日記にあるように、真弓山観世寺というお寺の境内に大きな岩が不思議な形で積み重なって小さな岩屋のようになっている.このお寺は「黒塚」伝説を売りにしているようで、何処となく胡散臭さが漂う観光寺の様相を呈している.芭蕉と曽良が訪れた頃でも既に怪しさが漂う寺だったようで、芭蕉も「黒塚の岩屋一見し、福島に泊まる」とのみ記載している.


この寺の境内を出て、100m程阿武隈川方向へ歩いて行くと、堤防と川岸の間の河川敷に大きな杉の木が植えられており、その根元付近に幾つか石の標柱が設置されていた.次の電車の時間が迫っていたので、杉の根元まで行かずに橋の上から眺めただけだったが、これが鬼を埋葬した所と云う事のようで、この小さな塚を「黒塚」と呼んでいるようだ.


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